収蔵品紹介

常設展示品

常設展示室1

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常設展示1

自然信仰から発生し、中世に戦の神として信仰を集め、武田氏に滅ぼされてからは民衆のものとなった諏訪信仰の歴史を時代順に紹介しています。円柱状のガラスカプセルには各時代の信仰の対象となったものを象徴的に展示しています。また、アニメによる諏訪の竜蛇伝説もお楽しみください。中央ステージでは映像を交え御柱祭の概要、世界の柱祭を紹介しています。

主な展示品

茶臼山遺跡出土品(諏訪市有形文化財)
茶臼山遺跡出土品(諏訪市有形文化財)

昭和27年(1952)に発掘された旧石器時代の石器。黒曜石製のナイフ形石器や蛇紋岩製の局部磨製石斧などがある。群馬県の岩宿遺跡発見後、日本列島に旧石器時代の遺跡が広く存在することが確認されるきっかけとなった。

蛇体装飾付釣手土器(諏訪市有形文化財)
蛇体装飾付釣手土器(諏訪市有形文化財)

穴場遺跡から出土した、蛇をかたどったとみられる飾りが特徴的な縄文時代中期の土器。住居跡から石棒をくわえるようにしてほぼ完全な形で発見され、当時の祭祀にかかわる資料と考えられている。

フネ古墳出土品(長野県宝)
フネ古墳出土品(長野県宝)

諏訪大社上社本宮のすぐ近くにある古墳で、2基の竪穴式の主体部から刀剣・鉄鏃などの武具や鉄斧・鉄鎌などの農工具、銅鏡などの装身具が多数出土した。特に蛇行剣は全国的に例の少ない貴重なものである。

灰釉水鳥紐蓋付平瓶(諏訪市有形文化財)
灰釉水鳥紐蓋付平瓶(諏訪市有形文化財)

昭和50年(1975)に中央自動車道建設に先立つ発掘調査で鐘鋳場古墳から出土した平瓶。蓋と把手に水鳥の造形を持ち、全体をオシドリに似せて作られた優品で、猿投窯(愛知県)で生産されたものとみられる。

武田信玄朱印状(個人寄託・諏訪市有形文化財)
武田信玄朱印状(個人寄託・諏訪市有形文化財)

戦国時代、諏訪氏を滅ぼした武田信玄が諏訪氏旧臣の千野孫九郎に出したもの。諏訪上社の御柱祭を従来通りに行うよう指示したもので、武田氏による諏訪社復興政策の一環を見ることができる。

日根野高吉宛行状(諏訪市有形文化財)
日根野高吉宛行状(諏訪市有形文化財)

豊臣秀吉より諏訪を与えられた日根野高吉が、諏訪で召し抱えた家臣に発給した知行の宛行状。日根野氏の諏訪領有は短期間であったため、諏訪に現存する文書は少なく貴重である。

御枕屏風(八劔神社寄託・諏訪市有形文化財)
御枕屏風(八劔神社寄託・諏訪市有形文化財)

寛文4年(1664)に高島藩3代藩主諏訪忠晴の命で作られたもの。六曲一双の屏風に高島城や城下町、各村落など諏訪郡全域が詳細に描かれ、江戸時代前期の諏訪の様子をしることができる貴重な絵画資料である。(展示品は複製)

大祝の装束
大祝の装束

大祝は諏訪明神の依り代(現人神)とされた諏訪社の最高位の役職で、上社では明治維新まで代々諏方家が務めてきた。この装束(「袍」)は江戸時代後期のもので、諏訪社の神紋である「梶の葉」の図柄が織り込まれている。

常設展示室2

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常設展示2

御神渡りに代表されるように、自然と共に暮らし自然の中に神を実感して生きてきた諏訪の人々の暮らしを「湖」「里」「山」「人」に分け、諏訪の七不思議や伝説と、諏訪に特有の民具、漁具を通じて語りかけます。中央の「人」のコーナーでは考古学者、藤森栄一が諏訪の風土の中でひたすらに生きた姿を、日記や諏訪湖底出土の矢じりなど採集品と共に紹介しています。

主な展示品

御渡帳(八劔神社寄託、諏訪市有形文化財)
御渡帳(八劔神社寄託、諏訪市有形文化財)

冬、全面結氷した諏訪湖に出現する御神渡りの状況を書き留めたもの。天和3年(1683)から明治初年までが記録されている。御神渡りの他にその年の出来事も記録されるようになり、江戸時代の諏訪を知る資料にもなっている。

風車
風車

水田に設置して肥水(栄養分を含んだ地下水)の汲み上げに使用した風車。諏訪湖周辺では、かつて繁茂した植物が腐植土化した地下の堆積層から噴出する肥水を風車で汲み上げ、農業肥料として利用してきた。

片倉館所蔵考古資料(片倉館寄託)
片倉館所蔵考古資料(片倉館寄託)

製糸王として世界的に名を馳せた片倉組が諏訪湖畔に建てた郷土館(現諏訪市美術館)に収蔵・展示されていた考古資料。明治~昭和初期に茅野市の医師・田実文朗が収集したもので、近代の諏訪考古学史に欠かせない資料群である。

藤森栄一記念コーナー

Profile

藤森栄一
藤森 栄一ふじもり えいいち

1911年8月15日~1973年12月19日

諏訪市生まれの考古学者。幼少より考古学に興味を持ち、旧制諏訪中学校(現諏訪清陵高等学校)在学中に論文を発表して注目を集めます。中学卒業後は家業を手伝いながら研究を進めましたが、大阪のち東京に出て東京考古学会の一員として活躍したほか、「葦牙書房」を開業して考古学書などを刊行しました。

太平洋戦争では召集により出征しましたが生還し、諏訪に戻って古書店、のち旅館を営みながら「諏訪考古学研究所」を設立して諏訪地方の遺跡を調査しました。その中で縄文時代中期に原始的な農耕があったとする「縄文農耕論」を提唱したほか、『かもしかみち』など考古学に関する著書を多数出版して広く一般の人々に考古学の魅力を伝えました。

復員後はたびたび高血圧症で倒れ、病と闘いながらの研究活動でしたが、昭和48年に62歳で波乱に満ちた生涯を閉じました。

藤森栄一記念コーナー

藤森が残した考古学資料は遺族から諏訪市に寄贈され、諏訪市博物館で収蔵しています。当館では2階に藤森栄一記念コーナーを設け、その業績の紹介とともに藤森が調査した遺跡の出土品のほか研究ノート、原稿、書簡など藤森の貴重な研究資料の一部を展示しています。なお藤森が研究に用いた図書は1階のすわ大昔情報センターで公開しています。

国登録有形文化財となった藤森栄一資料

藤森がその生涯に残した考古学資料は、考古遺物、研究に用いた図書、論文や著書の原稿、写真、考古学者らとの書簡など膨大な量と内容を誇ります。このうち、土器や石器などの考古遺物約6万点について、中部高地の縄文文化の特質を研究し、縄文農耕論の存在を主唱するなどして日本の考古学研究の進展に大きく寄与した藤森栄一の貴重な資料群として、平成24年(2012年)に国の登録有形文化財となりました。

その他の主な収蔵品

清昌院の雛人形(諏訪市有形文化財)
清昌院の雛人形(諏訪市有形文化財)

男雛、女雛および7体の楽人雛からなる雛人形。いずれも高さ約50cmと大型かつ精巧優美な作りで、江戸時代の古今雛の国内最高峰の一つと評価されている。松平定信の娘・烈姫(のちの清昌院)の輿入れ道具の一つと伝わる。

諏訪社遊楽図屏風(個人寄託、長野県宝)
諏訪社遊楽図屏風(個人寄託、長野県宝)

江戸時代前期の諏訪大社上社および下社とその周辺をそれぞれ一隻に描いた屏風。当時の社殿や門前の街並みはもちろん、参詣や往来する人々の様子なども描かれており、当時の諏訪大社の様子を知る一級資料。

高島藩主甲冑(諏訪市有形文化財)
高島藩主甲冑(諏訪市有形文化財)

江戸時代後期の作と伝わる甲冑で、高島藩9代藩主諏訪忠誠のものと推測される。兜の前立をはじめ鎧の各所に諏訪家の家紋をちりばめた、高島藩主にふさわしい甲冑。藩主所用の甲冑はほとんど残っていないため貴重である。

紺糸威大鎧
紺糸威大鎧

江戸時代後期に流行した復古調の甲冑。平安~鎌倉期に作られた「大鎧」の形式を踏襲しつつ、古い時代にない当世具足の部品を備えている。梶の葉をあしらった金物を随所に据えた豪華な甲冑で、高島藩主所用と推測される。

大祝諏方家胴丸
大祝諏方家胴丸

諏訪上社の現人神である大祝を務めた諏方家に伝わった甲冑。小札を紅糸で威し、金梨子地に梶の葉の蒔絵を施した華やかな胴丸。戦国時代末期に製作され、諏訪家を再興させた諏訪頼忠または高島藩初代藩主諏訪頼水所用と推定される。

竹取物語絵巻
竹取物語絵巻

公家・武家などの婦女子のために制作された、「奈良絵本」による竹取物語の絵巻物。高島藩主諏訪家に伝えられた絵巻で全3巻からなる。8代藩主諏訪忠恕に嫁いだ烈姫(松平定信の娘、のちの清昌院)持参のものと思われる。

リポン『ICONES ORNITHOPTERORUM』(『トリバネアゲハ類の図鑑』)
リポン『ICONES ORNITHOPTERORUM』(『トリバネアゲハ類の図鑑』)

1898~1906年にイギリスの動物学者R.H.F.リポンが出版したトリバネアゲハに関する図鑑。リポン自身による精密な石版画に手彩色の美しい図版は圧巻で、注文製作だったためか世界的に現存数が極めて少ない貴重な書籍である。