覗石新田
 (のぞきいししんでん)


有賀峠を越えて伊那側に下った東方にあり、1657(明暦3)年に有賀村の弥五左衛門を草分けとして開発されました。有賀村から出た新田で、1733(享保18)年の「諏訪藩主手元絵図」には家が8軒あったことが記されています。

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